泣いてもいいけど、泣いた後は涙を拭いて前を向かなきゃだめなんだよ

2月に瑠璃が亡くなって
日々流れて
やっと
普通に笑えるようになったような気がします


笑えてはいたんだけど
最近やっと仕事中に素で笑えるようになりました
接客って笑顔大事なのにね
張り付いたような笑顔しか出来なかったです
仕事は、スイッチ入って出来るんですが
ミスも多かったし
・・・職場の皆さん暖かく見守ってくださってました
ありがとうございます


ここ2年で
瑠璃と同じ婦人家系のガンで職場の人間が2人亡くなってて
立て続けです
そういう理解あって見守っていただけて


すぐそばに痛みに耐える人がいたら
自分は笑っちゃいけないんだって思う
思ってた
でも、同じ立場の他の人には
「笑ったっていいんですよ、楽しんだっていいんですよ」って
心の中とは反対のことを発言する自分
そのうちほんとに笑えなくなっていった
笑う力がなくなってしまうのです
笑うのにもエネルギーっているんですね


職場で流れたラジオの曲
「君がいない世界にだっておそらく
 なんらかの幸せを見出す
 そんなことは 当たり前になってしまう
 働こう」
 (peridots 「労働」)


職場の片隅に隠れてうずくまって
涙を滂沱


どんなにしんどくても働かないと
音楽さえできない
どんなに味を感じなくても
ご飯を口に入れて
噛んで飲み込まなきゃ力も出ない
倒れるわけにはいかない
曲をみんなに聴いてもらうために
作らなきゃ
遺言を守らなきゃ


光が差し込む
神様は私の大事な大事な人を連れて行った
かわりに
応援してくれる人
新しい環境
疎遠になっていた音楽仲間との再会
・・・
ごほうびですか?
これを糧にがんばっていけというのですか?
それとも引き合わせてくれたのは瑠璃?


答えはまだ途中
まだまだがんばらなきゃ







追記

タイトルは
私自身というより、これを読むであろう瑠璃の身近な人へ・・・
笑えるようになって
楽曲製作を、重責と考えず楽しんでいけるようになって
今があります
心配かけてごめんなさいね
これらの経験で音楽の力を発見していっている日々です
義務感から脱出して
プレイヤーとしてもっと成長したい
まだまだいろんな人と繋がっていきたい
これが現在の私です