思い出のスティックケーキ

休日、友人の職場近くまで出向きランチに誘おうと思った。
用事を済ませて友人の職場へ向かおうとしたが、
少し前までお世話になった人に出くわし、
近況などを話しているうち、もう誘うのは無理だな、
という時間になったので、
あきらめて次の用事をこなすべく移動。
すると、誘うのを断念した友人から電話が入り、ランチに誘われた。
5分程で迎えに行けるというので慌てて戻った。



瑠璃ともよくこういうことはあったな・・・。
懐かしく思う。



お昼休みということで、パパっと食べられるところ、
ファーストフードに入った。
途中、友人は席を立って、デザートを二つ
「どっちがいい?」
私はうっとなった。
スティック状の冷凍ケーキ
抹茶の方を選んだ。
友人はもう一方のものを私に分けてくれた。


「これは思い出のケーキなの」
わたしは溢れる記憶をせき止めることができず、話した。
不覚にも目から塩水が少々出てしまった。くそー。


瑠璃がホスピスに入っていたとき、
共用の冷蔵庫に冷凍のスティックケーキが入っているから私に、と置いておいてくれたとのこと。
取りに行ったが、どこを探しても、無い
瑠璃はとても悲しみ、怒った
ホスピスでの彼女は、美しく静謐な映画のラストシーンを見ているかのような印象があるのだが、
その時は違っていた。
そのとき瑠璃は泣いたんだっけ?
それくらいとても激しい感情を見せてた気がする。


友人は
死期の近い糖尿病の恩師に、大好物のチョコレートを差し入れするかどうか
死ぬほど悩んだ
という話をしてくれ
人には色々な事情や背景がある
ということを話し合った。
その一本のスティックケーキを食べた人は
どのような状況だったのだろうか。
高額な施設費(それでなくてもガンと闘うのは資金調達との戦いでもある)を支払った家族が?
それとも食事に制限のある人が?
(いや、ホスピスは苦痛を取ることに専心してくれる施設なので食事制限は無かったような気がする。延命措置はしないところである。)
色々想像はできるがあくまで想像なので。
私はこの友人の持っている一見わかりにくい独特の優しさがとても好きである。
基本自力がコンセプトのつもりの私であるが
割と素直に甘えることにしている。


スティックケーキ、あのとき食べられなかったこと
私はぜんぜん気にしてないよ!
(一応アノヨに向かって叫んでるつもり)
だけど忘れない。
思い出のカケラの数々。

今年は不祝儀が多い


周囲で亡くなる方が多く
今年でもう何件お通夜に参列しただろうと
そしてそれを数える気にはなれない
最初はいつも不祝儀袋の書き方に戸惑うのだが
最近は慣れてしまった


ガンで亡くなった友人もいた
胃がんだった
最後までがんばっていた
最後まで弱音を一言も言わなかった
最後まで克服することを信じていた
最後に会ったのは近所の総合病院だった
私が珍しく外科にかかるほどケガをしたとき
渋々行った病院で
バッタリ会った
亡くなるちょっと前だった
彼女に頼める仕事があったので
その後メールしたのだが
返信がなかったので、ヤバイなと思った
ほどなく訃報を聞いたので
知ってる限りの人に連絡をした
みんなショックを受けていた
私は瑠璃の時を見て心の準備をしていたつもりだったが
・・・・・
綺麗な顔だった
遺された子供さんの無邪気さに涙が出た
私にできることがあったらしたいと思う
彼女に深い敬意を捧げます


参列時に
お顔を見ていただけますか
と促されると
ほっとする
苦しんだりクラッシュしたりだと
そういうのは無いらしい
今年見送った人はどの人も
生前より美しい顔で
横たわっていた


ある人のお身内で数件不祝儀と
入院する方を経験された方がいて
最近優しくなったように思う
若々しい人なんだけど
少し老けた
死は人を成長させるというし
本当にそうだと思う